読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

よく生きる

現代社会について語るブログ

反グローバリズムについて思うこと。

昨年、イギリスのEU脱退に続き、アメリカではトランプ政権が発足した。世界には今、反グローバリズムの潮流が表れている。

どちらの選挙も非常に接戦だったが、この対立は企業と国家、成長と分配の対立と換言できる。

 

グローバル化とはつまり市場の一体化を意味する。世界規模での市場が合理化され、経済成長を実現するにあたって望ましい環境が作られる。幼稚産業の保護など、一部の特殊な例を除いて、経済学はグローバル化に反対する理論を持ち合わせていない(少なくとも僕の知る限りでは)。

 

肥大する企業

グローバル化において、国家は規制を緩和し、企業はより自由な選択権を得る。そうなると自国での雇用を呼び込もうと考える国家は、「企業にとって」望ましい環境を作り上げる。その代表が租税回避地だろう。(昨年の時事問題で英米の選挙の次に大きな事件だったのは、個人的にはパナマ文書だったと思う。)国家が企業の誘致のために法人税や規制水準などを競って下げることを底辺への競争と言う。これが起こると国家の再分配機能が弱まる。今の時代はグローバル企業の力が強くなりすぎて国家を凌駕しつつあるように感じる。

例えば2015年時点の国家の歳入と企業の売上高を同じランキングで表すと、ベスト100のうち70が企業になったという。

www.youtube.com

これほどまでに企業は成長しているのだが、しかし国家や社会はその恩恵を得られているのか、というとそうでもないような気がする。得た利益をどう使うのが企業にとって正解かというと、それは労働者への報酬でも法人税の納入でもない。次期の生産活動への投資だ。労働力は安く買い叩き、税金を払わない企業こそ「優秀」なのだ。そういえばあるメガバンクの人事に対して「パナマ文書には御社の名前がありましたが、法人税を納めることについてどうお考えですか。」と質問を放ったことがあった。その銀行員は「法律に則った節税であり、問題ないと考えています。営利企業が利益を追求するのは当然です。」と淀みなく回答された。実際その通りだから本当に困ったものだ。日本を代表する超巨大企業のトヨタも2009年~2013年の5年間は法人税を全く払っていないのも有名な話だ。

 

拡大する格差

オックスファムという、貧困問題に取り組んでいるNGOがある。そこが2016年の1月に「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」という報告を提出して話題になったことがあった。その報告には2010年の段階では36億人と同じ資産を持つのは上位388人の大富豪だったとも述べられており、格差の拡大が叫ばれていた。それが、2017年に入って新たな報告を提出した。曰く、特に中国やインドでの富の配分に関するデータが新たに得られ、調べ直してみたら下位36億人と同等の資産を持っているのは上位62人ではなく、上位9人だったという。こういう衝撃的な印象を与えるやりくちは統計やマスコミがの騙し手段のようで、僕はあまり好きではない。NHKは特集番組で36億粒の塩と62粒の塩を天秤に乗せた映像を流したが、あまりにも短絡的なイメージ化だろう。江戸っ子は宵越しの銭を持たないというが、第三世界には貯蓄という概念すら持たない人がいるのだ。しかしそれを置いても確かにすごい数字だ。格差の象徴として覚えておいて損はないだろうと思ったのでここで紹介させてもらった。

oxfam.jp

 

近年、特に格差の拡大が著しかった国がイギリスとアメリカだったわけだが、そう考えてみると反グローバリズムの政治的発端がそれらの国だったことも頷ける。どちらの選挙も都市部と地方部で支持が分かれたのはつまり、格差があることで得をしている者と損をしている者の対立であり、選挙の結果は格差の犠牲者の方が多かったということだと思う。

www.nhk.or.jp

 

 

どうも僕は長い話を書こうとすると、いろいろ話がそれていってしまう傾向にある。

端的に言うと、「グローバリズムは格差を拡大するものであり、経済成長は実現されるが、その恩恵はごく一部の人間に独占される。企業というものは営利を追求するだけの知性の無い怪物であり、国家は経済成長を標榜する限りある意味で企業に隷属し続ける。そうした国家-企業の力関係の不均衡は一部の勝者と大勢の敗者を生む。反グローバリズムとはその流れに対する反動だ。」といった感じだろうか。

 

僕は反グローバリズムには賛成だ。ただ、人々が物質の豊かさへの無尽蔵の欲望を持ち続けるのなら、昨今の反グローバリズムはいずれ消滅するだろうと考えている。

日本の将来像・世界の将来像

先日、僕が師事していた先生にキャンパス内で出くわした。お互いに時間があったので、近況報告も兼ねて90分ほど話をした。僕自身の現在、今後の展望といった話から個人的な社会観の話につながり、その中で先生から多くの貴重な言葉をいただいた。僕はその折にある質問をした。

 

「先生は日本の将来はどうなるとお考えですか。」

 

浅はかで漠然とした質問であるとは自覚していた。先生は国内最高クラスの経済学者ではあるが、数理的な理論の分野を専門にしている。このような質問は実際の社会を観測してアプローチしている学者にすべきだろう。

だから僕は、自分よりも深い教養や思考を身に付けている一個人の意見を聞いてみようというつもりだった。

 

「“将来”ですか・・・」

 

先生は少し歯切れ悪そうにした。教授という知的権威の言葉には、時には人の人生を左右してしまうほどの影響力がある。また、そこに個人的な主義主張が含まれてはならない。先生はそうした自戒から、慎重に言葉を選んでいるようだった。

 

「将来といっても曖昧ですね。では具体的に先生が思う20~40年先の日本の社会像を聞かせてください。」

 

「・・・これは10年前までの意見ですが、かつての日本がそうであったように、多くのアジア諸国が大国の力の下で発展を遂げるでしょう。グローバル化というのは市場の一体化ですが、それが進行すれば先進国の特権的立場が失われることになります。そうした世界の中で日本のアドバンテージは・・・(ない)といった感じですね。」

 

これは僕の社会観と一致していた。資本主義が続き国家が経済を重視する限り、企業は強大化していく。多少の反対勢力はあってもグローバル化は進行し続けるだろう。人口減が始まった日本において労働力が他国から流れてくること未来は想像に容易い。アジアの後進国から来た出稼ぎ労働者は(日本人の感覚では)低賃金であっても喜んで働くし、日本に来る大卒の労働者は日本人の大卒などよりも高い英語力を持つ。また、日本は世界の中でビジネスがやりにくい国である。規模が減少していく市場をターゲットにしてビジネスをやろうという酔狂な企業はそうそういないだろう。そうなると残された手は日本人が自国でイノベーションを起こし、新たな雇用を創出することだが、日本人の気質は和を重んじ、空気を読み、右に倣い、無難に済まそうとする。それに加えてベンチャーを支援する制度は乏しく、失敗を許さない社会である現状を見るに、自国内にイノベーションに期待するのは難しいだろう。

 

「10年前、ということは、今はそうは考えていないということでしょうか。」

 

「ええ。今現在起きている反動のこともありますが、案外「言語」の障壁としての役割が大きいのではないかと考えています。」

 

「言語、ですか。」

 

「例えば、研究発表などで新しい理論を打ち出した時、英語が完璧であっても日本人学者の主張が国際的に認められることは少ないのですが、それは私達と英語圏の人間が感覚的、文化的に異なっているからだと思っています。例え話一つ取ってみても、感じ方が違い理解されない。現に日本の研究者で評価されているのは、そういう感覚が要らない数理系の方ばかりですよ。他にも、テロやマフィアが日本に入ってこないのも言語が大きな障壁になっているからだと思いますよ。」

 

会話の内容の概要なこんなものだったと思う。

 

確かに「言語」は大きな障壁だと思う。しかし、僕はそれが世界の市場の一体化を阻むに足りる力を持つとは到底思えなかった。現在起きているグローバル化への反動もそうだ。最近はトランプ大統領のニュースを頻繁に見るが、強引なやり方とマスコミを敵に回すスタイルは、指導者としてあまりにも危うく、彼が円満に任期を務めあげるのは難しいのではないかと思う。(反グローバルである以上マスコミに反対されるのは仕方ないが。)トランプ大統領の次の政権がどうなるかは分からないが、きっと自国第一主義は踏襲しても反グローバル主義は継続しかねるのではないだろうか。

いや、そもそも反グローバル主義を掲げるのは成長が止まった先進国の一部であり、今後成長し影響力を増していく中国やインドといった国家ではありえないだろう。パワーバランスが変わった後も、世界を形成するのは依然としてグローバリズム推進派の国々だろう

絶望の国・日本の自殺について思うこと

日本の自殺率が高いという話は多くの人が聞いたことがあると思う。

これについて、自分の知っている事や考えていることを述べていきたいと思います。

 

Wikipediaの「日本の自殺」項目には冒頭にこう書かれている。

日本における自殺は主要な死因の一つであり、10万人あたりの自殺率は20.9人であり、経済協力開発機構(OECD)平均の12.4人と比べて未だに大きい値である(2014年)。自殺率のピークは1990年代であったが、その後2000年から2011年の間に6.3%減少した。しかし未だOECD平均に比べ数値が高いので明らかに要注意であるとOECDは勧告している。

 

 自殺の現状

日本の自殺者は年間およそ3万人と報告されている。男女の内訳はだいたい男性が2万人、女性が1万人。1990年後半に特に男性の自殺率が大きく増加してからはこの数字に大きな変化は無い。90年代後半に大きく男性の自殺率が上昇した理由としては、男性は世帯主である場合が多いので、経済の停滞や非正規労働の増加が影響したのだと思う。(一部では、98年から抗うつ薬の売り上げが増加しており、その副作用が原因である可能性もささやかれているが、その論では男性の自殺ばかりが増えたことの説明は出来ない。)

 

さて、この3万という数字だが、こう言われてもイマイチ実感が沸かない数字だと思う。

そこで比較対象を3つほど挙げてみることにする。

 

東日本大震災の死亡者:約15000人

年間交通事故死亡者:約4000人

他殺による年間死亡者数:約350人

 

21世紀最悪の災害と言われた東日本大震災にダブルスコアで勝ってしまっている。頑張ろう日本などと言っているレベルではない。毎朝子どもが小学校に行くのを「(交通事故に)気をつけてねー。」と見送る親御さんはどちらかというと「(いじめに)気をつけてねー。」というつもりでいた方が現実に即しているし、リアリティのあるドラマをつくりたいテレビ局は刑事ものなどよりも自殺に至る人間をお話にした方がいいのではないか。

 

統計の嘘

さらに言うとこの3万という数字は過少報告されている可能性がある。

警視庁が定める自殺の定義は「死後24時間以内に発見され、遺書があること」らしいのである。この定義に基づけば富士の樹海で発見された腐乱死体も、不意に電車に飛び込んでしまったブラック企業社員も「自殺」ではないのだ。無論、この定義は国際比較に用いられるWHOの基準とは異なる。この事実を指摘する人の中には実際の(WHO基準での)自殺者は年間10万人程度だと言う人もいるようだ。

 

若者の自殺

また、日本の自殺者を年齢別に見た時、若者の自殺率が増加していることも深刻な問題と言えるだろう。先に自殺の増加が経済的要因であることを挙げたが、「失われた20年」の時代を生きてきた若者世代が将来に希望を見いだしにくい世代であることは想像に難くない。正社員が強く保護されている日本の労働環境において若い世代がその割を食っていることや年金制度の世代間格差もある。15~24歳の自殺率だけで言えば日本は世界一である。この記事のタイトルに使った「絶望の国」という表現も、若者の自殺問題を紹介するニュース記事から流用したものである。某哲学者曰く、「死に至る病とは絶望である」そうだが、よく言ったものだと思う。

 

 何故、報道されないのか

さて、これまで日本の自殺問題の闇の深さを紹介してきたが、一般的な感覚とは大きな乖離がある内容だったのではないかと思う。それはなぜか。換言すると、どうして自殺問題についての報道が少ないのか。僕なりに考えてみた答えとしては「ウェルテル効果」を危惧しての事ではないかと思う。「ウェルテル効果」とはマスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える事象を指し、特に若者はその影響を受けやすいという。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」という小説において、主人公のウェルテルは恋と人生に苦悩し最終的に自殺するのだが、これが出版された当時、小説に感応した若者たちがウェルテルと同じ方法で自殺するという現象が起きた。これにちなんで名づけられた事象らしい。マスメディアが自殺問題の現状について報道しないのは、自殺という問題を人々から遠ざけることで、人々の考えから自殺という選択肢を消し去ろうとしているのだと僕は考えている。いじめられっ子の復讐が報道されない理由としても、このような噂を聞いたことがある。これは「臭いものに蓋」以下の発想だ。苦痛や絶望を伴って生きている人の中には自殺することで救われる人もいる。そうして人々から死ぬ権利を奪うことは間違っているし、民主主義国家において国民が認識していない社会問題が解決出来るはずがない。(だから僕はこの問題を紹介しようと思った。)

結語

初めてのブログ記事ということで、興味あるテーマについて書いてみたものの、思った以上に暗い内容になってしまった・・・。

これを見てくれた人が少しでもこの問題について関心を持ってくれたら嬉しいと思います。